優しさについて
風水師の但馬壇です。ある起業コンサルさんのお話です。
「○○さんのコンサルティングは優しくない、怖い」という事で定評のある方。
どれだけ怖いのだろうと思ったのですが、特に問題はなく、専門分野についておっしゃられている事は的を得ている事ばかり。
たまに違うなという内容は他の人からの情報でご本人が知らない事なので、私は何が怖いのかよくわからなかった記憶があります。
むしろ、色々大変なんだという話を聞かされたり、双方のすれ違いから喧嘩になっていたりと、大変だなぁという部分のほうが多い方でした。
最近になって、なぜこの方が優しくない・怖いと言われるのか? 少しわかってきたように思うので書いてみたいと思います。
その人の視座によって怖いという立ち位置が変わる
私は聞いていて一度も怖いと思ったことがない方ばかりなのですが、こういう「怖い」という方の多くが、優しさ=自分の甘い面をそのまま許してくれると、思っている事が多いです。
主に共感性が高く、組織の中でうまくやっていけるような人に多いように思います。
自分の至らない面を見逃してくれる優しいのメリットとデメリット
ところで、この甘い面を許してくれる「優しい」行為のメリットとデメリットについて考えてみましょう。
一体何が優しいのか?誰にとっての優しさなのか?
メリット
まずメリットですが、たいていこういう甘い面というのは自分でわかっているけどなかった事にしているとか、要するに触れて欲しくない部分であることが多いです。
風水鑑定していると様々なご相談が来るわけなんですが、そこが本当の問題なのですが、触れないで欲しい言わないで欲しいというような、ぶっちゃけ核心なんだけど、言われたくない部分。
当人が触れて欲しくないので、話にでなければその場は丸く収まります。
デメリット
先日、あるビジネス講座に参加をしました。そこで但馬がある質問をしました。
下手すると命にかかわっちゃうんですが?というような、かなり突っ込んだ質問だったのですが、回答としては、いわゆる上記の迎合のようなことはない身もふたもないお返事でした。
ただ、やらなければ結果はでないのはわかっているので、私は納得。かえって信頼できるわねって感じでした。
ただ、自分の甘い面をスルーしてほしい人からしたら優しくない。
だから、そういう人は「あんなこと言わなくても良いのに」って不満に思ったり、他の人に言ったりすると思います。
ただこれ、言われなかったら結果出てないよねというのが本音です。
そうなると何が起きるかと言えば「あのコンサルでは結果がでない」という評判が立ってしまう事になります。
つまり相手の気分を損ねないようにという目先の事を優先した結果、自分のサービス全体の信用を落としてしまうという事になるのです。
そういう意味では但馬も優しくない人のの一人
但馬の場合は、人生面でのお悩みですので、経営に関するご相談が多い訳ではありません。
ただし、かかわった方については、皆さん業績は上がっていますし、安定もしています。
新たな道を見つけた方も多いです。 その際に、お伝えしている事は、どちらかと言えば一般的にいう辛口の「優しくない」内容です。
何故かと言えば、アドバイスをした事をやらなかった方がどうなっているかを見ているので。
伝えておかないと大変なことになる事がわかっているからです。
そして、ビジネスコンサルさんについても、ちゃんと起業がうまく回っていると言えるレベルの結果を出せている人は、歯に衣を着せぬ物言いの方ばかりです。
念のためですが、強い語調で物言うとか、そういう事ではありません。
事実をそのままお伝えする、という事です。
優しくないというと、怒鳴ったり荒っぽい口調と勘違いされる方がいますが、そういう事ではありません。
要するに身もふたもない、事実だけを話しているという事になります。
ただ、自分に都合のよくない話を、人は「優しくない」という方が多いのですよね。
私からしたら、こんなに親身になって話をしてくれるなんて、なんて優しいのだろうと思うのですけどね。
これも視点、最近は視座という言葉が広まってきていますが、立ち位置の違いで考え方が違うんだろうな、という事です。
飢えで苦しんでいる人の国へ寄付をしたら高層ビルが建った話
少し内容を変えてみましょう。過去に飢饉で苦しんでいる国に、日本から寄付をしたことがあります。
その国の政府へ寄付をしたそうなのですが、飢えに苦しんでいる国民への食事を出すのではなく、都心部に高度経済のシンボルともいえるような高層ビルを建ててしまいました。
政府はその方が国の発展に繋がると思ったからです。
その後、海外からは食糧や服を送るようにしたのですが、今度は飢えていた人たちが自分達で稼ぐという事をしなくなりました。
稼ぐと配給してもらえないからです。
この様なことが、国内の母子家庭や生活保護を受けている人たちの間でも、起こっています。
DV被害者のためのシェルターに、精神疾患と診断され生活保護を受けている母子家庭の親子が沢山いて、何度かニュースでも取り上げられました。
つまり、与えるだけでは依存して、どんどんと自分で生き抜く力をなくしてしまい、薬漬けになってでも生活費をもらおうとしてしまう訳です。私は、目の前でそういう人たちを見ていました。
そんな感じで、目先の援助は一見優しいように見えますが、最終的に本人の人生を狂わせてしまいます。
こういった経緯があり、最近の支援の仕方は、現地の人たちが自立して生活を行っていけるようにするための教育を行ったりしているようです。
恐らく、こんな話うますぎると言えるかもしれませんが、このお話のキモは、実は販売ルートを教育側が握っているという事で、教育される側は、成果物の販路をもっていないし、そこよりも良い条件で買い取ってくれるところもない。それどころか自分も家族も幸せにしてくれてていて、恩もある。教育側としても販路はもっているけど作ってくれる人がいないと商売が回らないという、良好な依存関係のもとに成り立っています。
依存させるって、良くない事って風潮がありますが、人はもともと支えあって生きていくものです。お互いに感謝しあえるような依存関係のある環境というものはアリだと思いますよ。
経済的に自立する事も良い事だとは思いますが、セッションを受けている方で、一時的に臨時収入があった時点で、人が変わったようになってセッションを辞めてしまった方もいます。
耳障りの良い話の方へ行ってしまったのだと思いますが、目先の柔和さに惑わされて、大切なものを失わないようにしたいものです。
Originally posted on 2021年7月21日 @ 8:11 PM