金運と恋愛の神様、吉祥天と弁財天の違いくらい知っておこう。【龍穴パワースポット・神社】
金運と恋愛の神様である、吉祥天と弁財天の違いくらい知っておこう【龍穴パワースポット・神社】
上野不忍の池は金運アップのスポットとして有名ですが、弁天様は昔から馴染みのある場所です。そこで先日、都内のパワースポットにお参りしたのですが、それ以来、弁天様とのご縁は続いています。先日、吉祥寺の弁天様を訪ねました。その帰りに、とても素敵なお店を教えていただき、とても感謝しています。ちなみに、ここは弁天様だけでなく、夫の大黒天や恋人の毘沙門天も祀られている三角形の神社です。金運と恋愛の神様である吉祥天と弁財天の違いを知っておくことは重要です。この2つの神は、歴史を共有し、人生の異なる側面を表しています。このブログでは、この2つの神様の違いと、その背後にあるシンボリズムを探ります。
宝船の紅一点が、吉祥天から弁財天に変わったのはなぜ?
神様のお話なのに、いきなり三角関係って?
なんだかもの騒ぎな雰囲気ですね。
しかし七福神の宝船も、よくよく見ると、女性って弁天様たった一人です。
ちょっと調べてみると、もともと、ここには愛の神様である吉祥天、ヒンズー語ではラクシュミーが入っていたのです。
本来は福の神である吉祥天だったのに、愛と音楽の神である弁財天に変更されました。吉祥天は縁起の良い神で、幸運や繁栄をもたらす守護神とされていました。弁財天は嵐や洪水から身を守ると信じられ、知恵や知識をもたらすと考えられていました。
吉祥天であるラクシュミーと、弁財天サラスワディーの違い
神話などがお好きなお客様ですとこういった神様のお話なども出てくることがあります。
一般的には、神様は聖域にいるので不倫や略奪などはないとされていますが、実は全然違います。
もう少し調べてみましょう。
富の女神であるラクシュミーは、通常、蓮の花を持ち、8頭の象に囲まれ、幸運と繁栄を授ける美しい女性として描かれています。蓮の台座の上に乗っていたり、象の馬車につながれていたりする姿もよく見かけます。吉祥天とされ、信者に平和と幸福を与える慈悲深い存在である。
水と音楽と幸運の女神であるサラスワディは、片手にリュートやハープ、もう片方の手には宝石を持って描かれることが多い。蓮の上に立つ姿や、龍や亀に乗り、4匹の龍に囲まれている姿もよく見られます。弁財天は現代的な女性とされ、音楽、学問、文芸、幸運を呼び起こすと言われています。また、困っている人を守る存在として考えられていることも多い。
あげまん志向の吉祥天ラクシュミー
この2人の違いですが、ラクシュミーは愛と豊かさを与えるので、あげまん的な資質が高そうです。
しかし、彼女は移り気な側面もあり、一つ所にとどまらず、誰が捕まえても簡単に逃げてしまうとか。
武力が権力につながった時代では、女は強いものが手に入れるという、慣習があったのではないか。
そんな考察ができます。
ラクシュミーのように、つかまりそうで捕まらない存在は、自分に自信のある男性なら、誰もが追いかけたくなりそうですね。
戦いの神サラスワディーは美人で強い。つまり弁財天は現代風の女性といえます。
ところで、もともとが戦いの神サラスワディー(弁天)は、強いだけでなく、ウルトラ級の美人です。
生みの親である最高神のブラフマーが、あまりに美しいその姿に、逃げるサラスワディーを無理やり妻にするくらい美人です。
念のため書いておきますが、この神というのは、たいていが当時の権力者の事です。
つまり、近親相姦など遺伝子レベルの危険性などがまだわからない昔の事なので、本当に娶ってしまったと考えて良いでしょう。
さて、話を戻します。
サラサワディーは、相手が最高神だったので、勝てませんでしたが、もともと槍や剣を持つ神なので強い事もわかります。
幸運のラクシュミーと慈悲深いサラスヴァディーに象徴される歴史的背景
ラクシュミーは、インドで古くから信仰されている富の女神です。通常、翼のあるライオンや象、孔雀が引く戦車に乗った美しい女性として表現されます。彼女の主な属性は、富、繁栄、豊穣です。崇拝者を助け、保護し、豊かさと幸運の源であると考えられています。
水と音楽と幸運の女神であるサラスワディは、非常に古い時代からインドで崇拝されてきた。龍や亀に乗り、半女半蛇の姿で描かれることが多い。彼女の主な資質は、知恵、音楽、学問、文芸、保護である。現代的な女性として捉えられ、音楽、学問、文芸、幸運を呼び起こすと言われています。
幸運の女神であり吉祥天ラクシュミーはどんな女性だったか?
富の女神であるラクシュミーは、通常、美しい女性として描かれ、時にはライオンや象に乗ったり、孔雀の引く戦車に乗ったりしています。彼女は通常、慈悲深く、心優しい人物として見られ、その主な属性は富、繁栄、豊穣です。崇拝者に幸運と繁栄をもたらし、援助と保護を与えると言われています。
なぜ吉祥天ラクシュミー(アウスピシャス・ラクシュミー)は、自ら動くことなく、エネルギーとしてサポートを提供したのでしょうか?
そういえば、大国主命も、バックにカミムスビがいましたよね。
関係性は違いますが、殿方をやる気にさせ、信頼させることにたけていた女性なのかな?という所。
変な話ですが、心のよりどころができると、強くなれるんですよね。
最終的に吉祥天がビジュヌ神のもとに嫁ぐことを決めた理由は、彼が暴力や権力に訴えずに、きちんと話に来たからです。
シバ神の顔も持つ彼が力ではなくきちんと向き合ったからこそ、着いてきてくれた訳ですよね。
吉祥天も、自分が動くよりも、動ける相手のサポートを行う方が多くの人の幸せになると・・・思ったのかもしれません・・・(笑)
それだけ自身の特性をしっていたんじゃないですかね?前に出るより男性をサポートする方があっていると。
つまり、あげまんになりたいなら、吉祥天ラクシュミーかな?なんて思います。
吉祥天ラクシュミーの夫に最後になったのは?
そして、彼女が最終的に長く添い遂げたのは、力ではなく吉祥天ラクシュミーの望みを聞き入れた、最高神の一人維持の神ヴィシュヌ。
力ではなく、対等に彼女に接して、吉祥天ラクシュミーの幸せのために、尽力したわけですね。
そして、吉祥天ラクシュミーも、結婚したのちは彼のエネルギー源となり支えたそう。
まさに内助の功として、お仕事のサポートを全力でしたという事でしょう。
弁財天サラスワディー
そして、もっと面白いなと思うのが、弁財天サラスワディーです。
彼女は、吉祥天ラクシュミーの旦那さまの一人、毘沙門天に横恋慕して、後釜に収まったというお話があります。
そして、はじめは剣や槍、独鈷など、戦う道具ばかり持っていたのが、後に琵琶を持つように。
時代性といえば、それまでなんですが、ちょっと視点を変えてみましょう。
弁財天サラスワディーの変化を、純粋に男女間の問題から見てみる。
古代では強くて権力があれば、女でも帝位についてました。
弁財天サラスワディーは強いだけでなく、生みの親がたまらず娶ろうとするくらいの、美しい神様です。
そう考えると、毘沙門天も、美人の弁財天サラスワディーにアプローチされ、まんざらでもないはず。
しかも吉祥天ラクシュミーは、上に書いた通り掴みどころもないです。
それに比べ、弁財天サラスワディーは他人の旦那さんに惚れる位です。
一途だったと考えられますね。
そんな気持ちに負けてしまう、毘沙門天の気持ちもわからなくないです。
しかし、暮らし始めたら、吉祥天ラクシュミーのように、殿方をあげるような接し方はできなかった。
戦う女性と強い男性は、往々にしてぶつかり合う事があります。
それで、毘沙門天の心を引き止めるため、弁財天サラスワディーは、琵琶を弾いて彼の気を引いた。
そんな風に考えてみるのも、面白そうです。
大黒天と毘沙門天
最終的に弁財天サラスワディーの旦那さんといわれているである、大黒天のマーハカーラ。
よく大国主命と大黒天は同一視されますが、まったく違う神様です。
強くて乱暴な面もあるというところは、どちらかというと、須佐之男命のほうに似ていますよ。
ところで、大黒天であるマーハカーラは、最終的には、毘沙門天クペーラを吸収した、となっています。
上にも書いた通りで、当時、まだ倫理観などは、確立されていなかった時代であると考えてよいでしょう。
欲しいものは、強いものが奪う時代に、無敵に近い闇の神、大黒天。
インドで描かれているその姿は、日本のものとは違い、とても恐ろしい形相をしています。
頭の上にドクロをいくつも飾っているような神です。
そうなるとですね。
吸収ってつまり、本当に吸収しちゃったと考えるのが妥当。
ギリシャ神話の時も思いましたけど、昔の神様とされていた存在って、なんだかすごい人たちばかりですね。
さて話を戻しましょう。
そんな、自分の欲求に正直な人たちでさえ、イイ男をとどめておきたければ、女性が必至で相手を幸せにするために頑張る。
いい女をとどめて置きたければ、やはり必死で男性が頑張っている。
それが出来ている人が、相手の心を射止めるという事になります。
まとめ
昔の神様ほど、人間の欲望のドロドロさ加減を表しているものはないと思う、今日この頃です。
出雲大社で祀られている大国主命も、結婚後に、別の女性と駆け落ち、つまり不倫して逃避行したのは有名な話です。
これにはちゃんと理由がありまして、真言密教などでは、悟りを得るためには欲の限りを尽くしなさいと。
己の中の業をすべて燃やし尽くせば、自然と悟るしかないという事で、それを表しているのではないかと思う訳です。
そして、この中で一番幸せなのは、何事にもとらわれず、姉妹の事もとりなしてくれた、温和なヴィシュヌとの結婚に応じた吉祥天ラクシュミーのように思えるのです。
ラクシュミーは強かったという記述はどこにもないのですが、誰も捕まえる事ができず、とらえてもするりと逃げてしまう。
それは、性格の良さと賢さからではないでしょうか?
そして日本では、夫である毘沙門天に焦がれるサラスワディーが現れて、さっさと次行っちゃう吉祥天のラクシュミー。
ざっくりと簡単に調べただけですが、彼女だけ、誰かに執着することなく、自分軸をもち、周囲への愛で生きているように思います。
男性に自分から恋するという流れが一切なく、しかしながら知恵の神ヴィシュヌの問いに応え約束を守りました。
これって、約束を守ってくれた相手への感謝の気持と、自身も約束をしっかり守るという事だと思います。
まぁ、家族のしがらみもありますからね。
色々書きましたが、こんなことを思いながら、弁財天や吉祥天が祭られている神社をまわってみるのも、面白いのではないでしょうか?
Originally posted on 2017年7月24日 @ 12:06 AM