但馬だんのファッション経歴秘話
風水師の但馬だんです。実は私は、過去にミュージシャン向けのアクセサリーや衣装などの企画・制作をしていた時期があります。
営業から制作へ、そして音楽業界との出会い
飛び込み営業の仕事で店舗売り上げを7%から100%にしたのは良かったんですが、その後社内で色々あって、事実上その部門が機能しなくなってしまったのです。
それで、当時はバイトから正社員にしていただいていたのですが、どうも楽しくないので、会社やめちゃったんですね。
それで、せっかくやるなら、次は本当に好きな業界に行ってみよう!と。音楽関係のコスチュームや小物を扱っている会社に入社しました。
それまではお金を稼げるという事を優先にしていました。考えてみたら不思議な事だったんですが、コミュ力そんなに高くないのに、モノを売り始めると妙に売れるんです。
当時は飛び込み営業だったのですが、飛び込んだ先で仕事手伝ってくれと言われ、平日は営業・週末はデパートの売り子をしていたこともあります。
ただメンタル病み時代でしたので、自分が売り上げ作る的な発想は全くありませんでして、ノルマなども嫌いでひたすら逃げまくりたい人でした。
音楽雑誌に掲載された衣装制作
新しいお仕事の内容としては、社内でのアクセサリー制作・企画という事でしたが、実際は何でも屋でしたね。卸販売の窓口や通販のクレーム対応、たまに店舗に出れば、そういう店じゃないのになぜか接客して服を売っていたり。
そんな感じで何でも屋だったのですが、ある日社長に頼まれて制作した衣装をインディーズ時代の某アーティストがライブで着て、そのまま音楽雑誌にのって注文殺到とか。
それ以外にも、店で商品ガン見していたお兄さんのご要望でス作ったアクセサリーがバカ売れ。
作っても作っても即完売なんて事もありました。
制作物については、仕事を辞めても声をかけていただく事が多かったです。
寿退社後も続いた制作活動
その後しばらくして。寿退社後も、趣味で作っていたビーズ作品は、大手エンターテイメント会社のマネージャーさんが気に入って声をかけてくださったりしました。
当時はオーダー制作をしていましたが、原価計算など考えずに作成
毎回赤字でしたが、お客様からはリピートいただくことも多かったです。
ファッションで繋がる家族の物語
家族そろって、ファッションに関わっていたんです。
実は、母がヨガ講師になるきっかけとなったのも、ステージ衣装のオーダーメイド制作から洋裁の先生になり、肩や腰の疲れが酷く自分の体調管理の為に始めた、それでマニアックな性格だったのと。
丁度先生が不足しており募集をしていたそうで、それで先生になりました
姉も昔からファッションが好き。服飾学校へ行き、その後ひょんな事からミスコンに出場、毎回上位3位には入るようになっていました。
務めるアパレル会社の服のモデルもこなしていたり、着こなしセミナーなどもしていたようです。当時はよくB品やサンプル品をもらってました
ついでに幼馴染もお洒落好き。そんな感じで、我が家の家族の思い出って、全てファッションに関連していると言っても良いくらいのアパレル一家でした。
小学生時代から始まった手仕事の日々
子供の頃は、家で占いか手仕事ばかり。小学生の頃はお小遣いをためて「マイはた織機」まで持つ始末。コロナ渦になりまた購入したのですが、〇十年前と値段が殆ど一緒だったのがちょっと驚きです。
今回のレジンアクセサリーについても、一番初めに作ったのは小学生の時。つまりこんなに流行る〇十年前に作ってて、当時は中に入れるドライフラワーも全部自分で作っていました。
そんな訳で、制作については、教わらなくても作り方知ってるものが多い。ビーズのクマドールも製図なしでいきなり作ります。洋服についても、自分の体型を測って作る、いわゆるフルオーダーの制作方法から作り上げたこともあります。
型紙なしで立体を生み出す技術
型紙や、作り方なしで、いきなり立体を作ります。上にも書いた通りで、どうすれば立体になるか、おおかた頭に入っています。
これは多角的な視点で全体像をイメージする必要がある作業です。最近リフレーミングですとかクリティカルシンキングという思考方法が、成功には重要と言われています。これらは、様々な視点から見たり考えることが必要です。
私は子供の頃からずっとやっていて、他面的に物事を見る事が好きです。ですから、普通の人では見えない観点からの話がこちらのブログにも出てきます。
アクセサリーについては、普通のアクセサリーとしてもそれなりのレベルのものになっているとは思います、デザイン的にも。ただ最近はもっと完成度の高いものが良いかなと思ってます。
芸大コースへの挑戦
余談ですが、高校は芸大コースといわれている進学校に通っていました。ここは実技もあり、学力レベルも高いため、たいへん難しいといわれていた学校です。
実技については、受験した方の中には、子供の頃から絵画教室に通っているような人や受験のために勉強していた方もいらっしゃいました、合格しなかったみたいですが。
偏差値については、但馬が入ったころは、いまでいう都立の特進高レベル。そんな学校へ、ほとんど試験勉強も絵の勉強もせずに入っています。
一ヶ月のチャレンジの独学と、2回美術の先生に絵を見せただけ。絵は「こんな感じでよいから、あとは頑張りなさい」と、いわれたのです。まぁ、テストはマークシート方式ですから、運もありますよね。
他の人には見えない世界が見えていた
ただ、入ってからひとつ思った事があります。授業が始まって思ったのは、自分が当たり前のように見えている光の変化や色の違いなどは、他の人には見えていなかったんだ、という事。
絵の実技の際、先生は一通り皆の絵を見終わった後で、私が当たり前と思っていたことを、わざわざ説明している。そして、同級生がふんふんとうなづいている。当時はなんで、そんなわざわざ説明するのと思っていましたが、今になって思うと、多くの方が視えて無かったという事なんでしょうね。
但馬が作った作品を、先生が気に入ったので差し上げたこともあります。
これも実は服なんです。親から教わっていたので、家庭科の授業の被服って本当につまらなかったのです。
それで、以前に気に入って買っていた布地で作ったらジャケットみたいになり専科の先生が気に入ってくださり、学校でもよく着られてました。
なんで、こんなことを書いているかといえばですよ。
今は輝くこういうものを扱ってるからです。
Originally posted on 2017年9月19日 @ 12:18 AM