人生の終わりなんて、はじめから決まっているのかもしれない。と、いう話
人生の終わりなんて、はじめから決まっているのかもしれない。と、いう話。
風水師の但馬檀です。このところ、どんどんと就寝時刻が遅く、しかもなぜか朝からジッとしてられない状態。
プラスで昨日は予定を間違えて早起きして、その晩も遅くなり。睡眠不足は理性を奪いますから、感情のコントロールもききづらい状況に。
全て仕組まれた必然である
そして、今朝読みかけの本を読んでいて、あるフレーズで涙が止まらなくなりました。
既に子供の頃に出て来ていた映像、今でも鮮明に浮かんできました。そして、涙が止まらないのです。
すべては予定通りに仕組まれています。
なんと、うまく仕組まれたタイミングで事件が起きるものだと。
最近は体調面でもかなり気遣っていますから、そうそう理性のバランスが崩れるという事もないのですよ。
それが、幾重にもストレスをかけ、これでもかと睡眠不足を促して理性の蓋をはずしましてね、心の奥に置き忘れていたものを引き出させました。
トランス状態になると、リーディングがよく出来るようになったり、よくわからないイメージみますよね?あんな感じです。今までもありましたので、相変わらずなんと素晴らしい心の仕組みでしょうと私自身は感嘆している訳ですが、傍目からすると涙はだんだんとあふれ出るので、大変な風に見えるようです。
昼前に新宿のカフェでボロボロ涙流しながら、本人はあらこんなところで魂震えちゃってまぁ〜なんて、変な図ではございます。まあ私変な人ですしね。
感情の分析ができてくると、こんな具合に、自分の涙も怒りも客観視できるようになり、それに振り回されることはなくなります。
そんな訳でかなりみょうちくりんな図が出来上がっていた訳ですが、こういう事って結構あります。
子供の出産に立ち会って、気持ち的にはしっかり立ち会ってるつもりだけれど体は眠気マックスでもー動けないよとかね。かなーりみょうちくりんな図となります。そんな訳で、人生ってほんとみょうちくりんな事しか起こらないんです。
以下は魂が震えた時の参考文献としてリンク。
続、空を飛ぶ夢、ではなくて、過去世を見ました。
感情に巻き込まれないという事
私たちはこの世に課題を持って生まれて来ています。よくよく、調べてくと、感情のレポートを作成しているとしか思えません。この世に出てきて作成していると、そう思って良いでしょう。
もちろん仮説ですが、世の研究論って仮説が多すぎのように思うのは私だけ?そうであれば、他人のものを否定することなどとうてい出来ないのです。
そんな訳で、ご自身は研究者で、実は感情の研究をしに世に出てきている、ということを前提で、今の感情の処理をしてみましょう。処理というのは記録して分析するという意味です。
自分の感情を観察して記録していきますと、意外と落ち着いてくる事に気づきます。
ちなみに、この作業は「瞑想」なんて言葉で表現することも可能です。ただ、瞑想ひとことでくくると、何のために?と腑に落ちない方もいるのかなと思い、今回のような事を書いてみました。
重さや感覚のあるバーチャル空間
例えば、こんな仮説はどうでしょうか?魂の世界とは、優秀なエネルギーが学びを深めるために集うラボ。そこから実験のためにこの現実の重さなどがあるバーチャル空間に飛び出てくるのだと。
そう考えると、世に出てこないがたまに出てくる魂がいることや、人によってはやり直しをすること。そして戻ってこない、つまり留年してしまったりと研究が頓挫している人がいることもうなずけます。
ただし、一つ言える事は、誰しもがその場所に集えるだけの高い意識体であるという事。
何かのために意志を持って、わざわざ不便な人間世界に来ている、ということではないでしょうか?
そして、何を読んでもみても、楽しいものは楽しいし、悲しい時は悲しい。
怒りも辛さも魂を削られるような思いも、全て本当にある気持ちという事。
そんな訳で、私の人生の終わりなど、大変に平凡な終わりだったなと、まだまだ先は長いのねと思い出したのでした。
Originally posted on 2020年3月4日 @ 8:00 PM