パワースポット撮影に行こうとしたらルネラリック美術館にたどり着きました
先日のYOUTUBE遠隔ヒーリングの日に、箱根ルネラリック美術館に行きました。
正しくはパワースポット撮影に行こうとしたらルネラリック美術館についてしまったと言う感じです
ルネラリックと言うのは、工業デザイナーと言われています。
しかし、元はジュエリーデザイナー。
カルティエなどのデザインも手がけていたそうで、相当な良いセンスを持っていた人と言っていいと思います。
箱根ルネラリック美術館と言うのは、ラリックがガラス工芸を扱うことになったきっかけとなる、香水瓶がたくさん置いてある美術館です。
もとは香水会社が香水瓶だけ依頼したそうなのですが、ラリックはパッケージの箱から何から何までデザインしてしまったのだそう。
トータルでデザインすることでの美しさってありますよね。わかるなぁ。
ガレと同様にガラスを扱い、自然の植物や昆虫などのモチーフが多いルネ・ラリック、美術館も何から何まで私の好みです。
中でも嬉しいのは、子供の頃のノスタルジックを感じさせる空間があること。
子供のころに育った場所の近くに、旧朝霞邸と言って、アールヌーボーとアールデコを取り入れた家全体が美術品のような、旧迎賓館がありました。
現在の庭園美術館なのですが、それが2軒隣にありました。
隣は自然教育園といって、要するに森です。
ですから私にとってルネラリックに囲まれた調度品のある空間というのは、幼いころに戻ったような、懐かしい気分になるものなのです。
そして、この箱根ルネ・ラリック美術館と、庭園美術館では、似たような室内が展示されています。
それが嬉しいのです。
前に来たときは、10年以上前の話でしたので、すっかり忘れていました。
こちらの美術館ですが、自宅から大体1時間ちょっと。
私にとっては生活圏内なんですね。
以前住んでいた場所から、やはり1時間位かかった喫茶店に毎日通っていたこともあります。
ほとんど毎日です。
カフェで1時間位過ごして片道1時間ですから全部で3時間位。
毎日通っていました。
そこで何をするわけではなかったんですけれども、過ごすことでアイデアが浮かんだりとか気分転換になったり。
一人の時間が必要なのですが、当時は子供たちとも一緒に住んでましたのでやっぱりどうしても一人になりたかった。
で、今は海が目の前ですが、森って落ち着きますよね(笑)
今回もちょっと落ち着く場所を見つけてしまいました。
もう少し近くで探そうかなと思ったりもしますが、やっぱりここ好き♪
そんな訳で、私にとってルネ・ラリックというのは、思い出深いものなのですが、箱根のラリック美術館については、もう一つ感動したことがあります。
それは館内に書いてあることなんですが、これ 行政が作ったものではなく、実業家の方が趣味で集めていたものを展示しているようなのです。
が、なぜかアンティークカーなども置いてあります。
そして休憩室にある、無駄に良い大木を使ったベンチ等等。
私の好きなものだけ置いてある非常に嬉しい美術館で、なぜにアンティークカーと思っていたら、もともとの持ち主である、材木業を行っていた社長さんが、ルネラリックとアンティークカーがお好きだったそうで、その方のコレクションなんだそう。
だから休憩所のベンチとか、大木1本まるまる使ってあって、それ自体芸術品クラス。
これも大好き。
ところで。
木の切り出しという仕事は自然と常に向き合うような仕事でもあります。
そして自然と対峙したお仕事は、理屈だけでは解決できない事、というのが起きてきます。
例えば、木は本来は切るのに1番適した時期などがあり、その時に切る事で長持ちするという話や。
ご神木や精霊が宿っている木は、切ったり移設する前にはお祓いなどをする必要がある訳ですが、それをしなかったがために、後々怪奇現象が起きたり。
そもそも、移設作業すらできなかったり。
当人、つまり精霊たちはまったく悪気がなくても、理に反することで、人に対して害をなすこともあります。
仕事をするという面だけみれば、こんなに面倒くさいことはないかもしれません。しかし、それを踏まえて自然と調和していくことを意識すると、とにもかくにも助けてくれるのも自然。
そして、そうやって自然の法則にのっとって作業するしかない場面がまま出てきますが、理解して相手の法則を尊重しながら生きていると、自然というものがとてもいとおしく感じるのではないかと。
ハチであれ、蛇であれ、私たちを守り愛してくれる存在なのではないかと思えるのですが、なんとなく同じようなことを感じてくれている方なら嬉しいなと。
自然をモチーフにしたデザインが好きであるという事は、自然がお好きなのかなと思うと妙に嬉しい訳です。
で、主の方の言葉が書かれたパネルからは、ラリックへの思いがあふれてきているようで、感動してしまった訳です。
決して器用な感じはせず、どちらかといえば、ちょっと自分の想いを表現するのは苦手なのかな?
それでも、あふれる思いを抑えきれず、美しいものたちを集めていたのかなと。
そして、その方はもう亡くなっているのでしょうが、形は亡くなっても、想いは残るものなのだろうとも思うのです。
Originally posted on 2020年8月13日 @ 8:34 PM