行き別れた父とどうやって再会したのか?お墓を知る事が出来たのかをお話します
行き別れた父とどうやって再会したのか?お墓を知る事が出来たのかをお話します
風水師の但馬壇です。
半世紀ぶり位に父と再会しました。
それで話していたら、お互いに一緒にいたころの記憶って全くなく、要するにこれ生き別れだったんですねぇという話。
母の若い頃の話などは良く聞いていたのですが、父の話は全然しらず。
再会して、父の若い頃の話などを聞いていたら、あまりに規格外で一人で2回分の人生を生きているような人でしたのでこちらに記しておきたいと思います。
小学校で新聞配達
父は小学校の頃から新聞配達をしていたそうです。普通こういう話を書くと「貧乏だったから家計を助けるため」という話になるのですが、うちの父は違ったそうです。確かに自分達兄弟が進学出来るだけの稼ぎは父親になかったそうですが、その前に朝目が覚めてじっとしていられなかった。
勉強すれば良かったのかもしれないけど、どうせなら手っ取り早くお金も欲しかったから、なんでもいいから働かせてくれと私からみた祖父に頼んだそうです。
それで、祖父が近所の知り合いである新聞屋さんに配達をお願いし、小学生が無理なく出来る範囲で、無償でお手伝いをしていて、そのまま高学年になり戦力になってきたのでお給料発生。中学生の学生服は自分で稼いだお金でオーダーしたので、ひとり高校生みたいになっていたそう。
高校に入り兄弟にも手伝ってもらい自分は営業もやって売り上げを増やし、兄弟分の学費を稼いだそうです。
卒業後は公務員へ
そんな父なんですが、卒業して新聞屋さんを専業で行うかと思ったら、公務員になりました。
フルタイムで朝から晩まで仕事をしているのに、朝晩2時間だけ働く新聞配達との給料の差があまりなかったそうです。
それでも公務員をして夜間大学を卒業しキャリアになって、様々な省庁を転々とし、退職後は車で各地をあちこちドライブしと、ずっと色々なところを回遊魚のように動き回っていたそう。
トラブルがあるような所は、誰も文句言えない相手に歯に衣着せぬ物言いで、周囲の人を喜ばせたそう。
退職後も、名が知れていたのか、そういう問題のある部署などの是正が必要な時は、何も言わなくてよいから着いて来てくださいと、同行依頼されたりしたそうです。
怖い風貌ではないんですけどね。
80歳を過ぎた今も、今も朝早くから起きて、身の回りの事から何か行った後にパソコン作業一通りの事をして、その後に、友達のところへ遊びに行くそうです。
うちの母は、やりたい事を我慢していて、仕事が終わると、とにかく疲れていたと体を休める事ばかりしていました。
父と再会した事などを話します
今月の17日ですが、クローズドになるのかな?
倫理法人会で、会員様向けになると思いますがスピーチをさせていただく事になりました。
内容は、子供を躍進させる方法についてと、父方のお墓にどうやって知る事が出来たかについてお話しする予定です。
普通は自分の足を使って必死に探してやっと見つかるのですが、私の場合はそういう事ではありませんでした。
問題解決の近道ですが、なかなか足がかりを見つける事が出来ない方もいらっしゃると思います。
実質一ヶ月くらいで知る事ができました。
倫理法人会というのは、名前の通り経営者が心の法則を実際に生活の場で活かすためのサポートをしている団体です。
経営者向けですが、プライベートな問題解決をするノウハウなどもあります。
ご相談者様のお役に立つこともあるかと、一年くらいですが、学ばせていただいております。
最近は個人の方でも入会できるようですので、ご興味がある方はお近くの会に参加されてみても良いかと思いますよ。
もちろん、但馬がいる会に来てくだされば嬉しいですが^^
下記よりお問い合わせくださいね。